初めから完成品を求めるということ
こんばんは。
プロフィールにも書いていますが、
今は職場の方に強い関心がありまして、
そちらの方に注力しています。
とはいえ、職場の方は少し落ち着いたのと、
家のほうがいろいろありますので、
今は家の方と、あと自分のことに注力している感じです。
少し前に書かれたこの記事を見て思い出したことを書いてみようと思います。
インターネット文化の基本は「恩返し」ではなく「恩送り」
http://bizmakoto.jp/bizid/articles/1502/10/news017.html
今の職場に入って2年ほどやってきたことは、
まさしく「恩送り」だったなあ、と思っています。
ブログ始めたころはまさしく中二病全開だった私を、
馬笑さまはじめたくさんの方のご指導により育てていただいたのでした。
直接かかわっていただけたのは今思い返せば約三年間と、
思ったより短い期間だったのですが、
それでも私にはかけがえのない時間でした。
あまり恩返しできてなくて申し訳ないなあ、と思ったのですが、
「恩送り」をする機会ができて、それもなんとか形になったようで、
結果的に、これが「恩返し」になったのかなあ、と思っています。
職場は吹奏楽とは直接関係ないですし、
「鬼」と呼ばれたり「すまない、男以外は帰ってくれないか」(意訳)
と言われたりいろいろなことがあるんですけどね。
それも人生です。
ひるがえってタイトルのおはなし。
「完成品」ってなんだろう、と思うと、
要は「その人が望むレベル」なんだろうなあって思います。
その人の望むレベルに達してなければ必要ない、
となると、育つ要素を無視しているような気がするのです。
育てる手間を面倒だと思ってしないのは、
結果的に自分の首を絞めてしまうことになるのではないかなと思うのです。
考え方や価値観が違うといってしまえばそれまでなのですが、
果たしてそれでよいのか、と思うと、
私の経験から決してはい、とは言えないのです。
何が正しいのかは私にはわからないのですが、
今思うこと、気になることの一つは、
「完成品だけを求めることはよいことなのか」ということです。
結論が出るまで、もう少し考えてみたいなあ、と思います。
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