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2005/04/06

「泣き」の美学

今回は福島弘和氏の曲について思うところをつらつらと書こうと思います。
曲については軽く触れてはいましたが、
つっこんだことは書いていなかったと思いますし。

福島氏といえばここでも以前書きました「稲穂の波」が有名ですね。
(ちなみに、結局演奏会ではやらないことになりました。残念)
1998年の課題曲です。
課題曲採用後もコンサートピースとしてちょくちょく演奏されています。
曲の完成度としてはご本人曰く「道祖神の詩」の方が上、
と確かどこか(ウインドアート出版のコラムですかね?)に書いてありましたが
曲の完成度については私はよくわからないのでおいといて、
解釈の幅広さという意味ではやはり「稲穂の波」の方が上になるなあ、と思います。
文章でいう「行間」をいろいろな解釈で読めるんですね。
タイトルからのイメージも非常に広げやすい。

以前、「響宴」の曲感想でも書きましたが
この方の曲は基本的に「明るさ全開!」ということはなく、
微妙な影、静かな翳りがあります。
暗い、というわけでは決してないのです。
そこからイメージするもの、というと私は「郷愁」ですね。
「ノスタルジック」という横文字ではなく、あくまで「郷愁」。漢字です。

「郷愁」というと「遠くにありてふるさとを思うもの」なわけですが、
ふるさと、の中でもとりわけ女性、つまり母親や祖母、あるいは姉
(つまりは自分より年上の女性ですね)
を感じさせます。
この方のメロディーはオーボエやサックスがとても印象的なのですが
(「碧の変奏」の冒頭の長いオーボエソロは特に印象的ですね)
よく、オーボエやサックスの音色で表現される「官能的」な印象はごく少ない。
むしろ演歌的な「泣き」を感じさせます。
演歌的な「泣き」といっても女の情念を歌い上げる「天城越え」のようなイメージではなく、
「越冬つばめ」っぽい感じです。(こっちは待ってる女性ですね。多分)

なんかだんだん訳がわからなくなってきたので気を取り直して。
「郷愁」を感じさせる「女性的」な「泣き」。
これはどこから感じられるのでしょうか。

「泣ける」ドラマ、ありますね。
「北の国から」でもなんでもよいのですが、
ドラマの流れに盛り上がりがあって、「泣き」のポイントへ落としこむ。
「泣ける」ドラマはこの流れが非常に自然です。
「ここで泣いていいんだ」という安心感があります。

福島氏の曲もその流れが非常に自然で
曲の「泣きポイント」がわかりやすいです。
安心感を得られるのはやはり女性に対して感じることだと思うので、
ここで女性的な泣きを感じるわけですね。

まとめると「泣けてすっきり☆」って感じです。
・・・ちょっと違うような気もしますが、これはこれで。

そういえばそろそろ北京では柳絮の舞う季節ですね。
(日本では6~7月頃に上高地あたりで見られるそうです)
私も「柳絮の才」と呼ばれるような女性に少しは近づいたでしょうか。

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